クライテリア

批評誌『クライテリア』によるブログです。

観光と政治の狭間で

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f:id:criteria:20170530001657j:plain<上:チッタゴン丘陵地帯の丘からの眺め 下:夜のカプタイ人造湖 撮影:Jumma Titu>

 
 

 バングラデシュの南東に位置するチッタゴン丘陵地帯。ここは国内でも有数の観光地である。他よりも少し高い丘から見下ろす眺めは雄大で、人々の心を大きくし、小さな悩み事をかき消してくれる。また、国内最大の人造湖であるカプタイ湖には旅客船が周回しており、湖の上を揺蕩いながら、自身の内面を見つめる時間をくれる。埃と喧騒にまみれたダッカでのストレスフルな生活を癒す絶好のスポットだ。実際に多くのバングラデシュ人がここを観光目的で訪れている。私もよくダッカの知人に「チッタゴン丘陵地帯には絶対に行ったほうがいい。自然がめちゃくちゃ綺麗なんだよ。ほら見てくれよこの景色」とスマホの写真を自慢されていた。

 一見すると坂だらけで人の住めるような環境ではないが、未開の地というわけでもない。ここにはチャクマと呼ばれる先住民が多く暮らしている。人口の八割弱がイスラーム教徒のバングラデシュでは珍しく、彼らの大半は仏教徒あるいは無宗教であり、平野部のベンガル人とは異なる独自の文化を形成している。バングラデシュというと、イスラーム教のイメージの強い国であるが、実はチャクマのような先住民があちこちに存在していて、意外と多様性に富んだ国なのである。

 今回はチャクマの新年祭に招待されたので、その報告である。しかし、彼らの文化を事細かに紹介するようなことはしない。私がここで書きたいことは、この地に行くことであぶり出される、この土地の目には見えない何かについてである。

 

 

 結論から言うと、チッタゴン丘陵地帯は観光地であるにもかかわらず、観光地的ではない要素で満たされている場所なのだ。大自然を前に思いっきり羽を伸ばそうと思っても、後ろめたくなるような、判然としない気持ちにさせられる要素がここにはある。その要素とは何か。それを説明するためには、まず簡単にこの土地の事情を知る必要がある。

 

 チッタゴン丘陵地帯は治安が悪い。民族的な対立による襲撃事件やレイプ事件が今も起き続けている。そのため、観光の際には治安維持を担当する軍の同行が必要になる。とはいえ、観光客が被害者になるケースはほぼない。被害者はこの土地に住む少数民側であることがほとんどで、加害者はこの土地に後からやってきたベンガル人入植者であることが多い。観光客は、両者のいがみ合いの隙間をすり抜けて、この土地の大自然を満喫する。それはあまり健全とはいえない。自然もあり、観光施設も整っているが、肝心の観光客が安全に入れる場所ではないのだ。

    民族対立の主たる原因は土地である。一七世紀から始まったイギリス植民地時代が崩壊して以来、一九四七年のインド・パキスタン分離独立、一九七一年のバングラデシュ独立を経て今に至るまで、各時代の中央政府はこの地域の少数民の土地を半ば強制的に奪ってきた。逆に言えば、イギリス植民地時代は、その自治権が認められており、チャクマらにとってはまだましな時代だったと言える。もっとも甚大な被害は冒頭で紹介したカプタイ人造湖の建設である。これにより、チッタゴン丘陵地帯の平坦な土地の約四割が沈み、約一〇万人がその土地を離れざるを得なくなった。優雅なクルージング体験ができるこの湖の底には大きな村が沈んでいる。そんな場所なのだ。

 もう一つ特筆すべき出来事は入植政策である。政府の入植政策による人口移動は露骨であり、かつてはチッタゴンの先住民と入植者の人口比率は八対二程度だったが、今では五対五にまでなっている。チッタゴン丘陵地帯の人口密度は平野部より低いが、実際に人の住める土地は少ない。当然、彼らは住む場所を巡って対立することになる。チャクマの言い分は「もともと住んでいたんだから、我々の土地だ」であり、入植者の言い分は「政府から公式に受け取った土地なんだから、我々の土地だ」である。どちらも妥当な意見である。さらに問題なのは入植者は全員貧民であるということだ。彼らには戻る場所がない。全てを捨て、政府の申し出を信じて丘陵地帯にやってきている。

    互いに譲れない理由がある。彼らは互いに認め合うことをせず、加害者である政府相手ではなく、被害者同士で争っている。

 

 以上が、治安の悪い理由である。そのために、ここを観光する際には軍部の人間が同行することになっている。さらに外国人の場合は、事前に軍の許可を得なければならない。滞在日時や宿泊先、訪問場所などを予め伝え、許可証を受け取る。そして、入域する際には検問所を通り、許可証を見せ、本人確認とサインをする。理由はわからないが、許可が下りないこともある。観光地として、開いているのか、閉じているのか、はっきりしないのがこの土地の特徴だ。

 では、説明はこのくらいにして、以下に私の体験したことを、書き連ねていきたい。おそらくそれが、最もこの土地の特徴を表すのに適した方法だから。

 

 二〇一七年三月、例にもれず、私も許可証を取得した。この土地を訪れるのは今回で三度目だが、この許可をもらうという行為が毎回釈然としない。治安が悪いとはいえ、毎日争いが起きているわけではないし、実際、ダッカの方が危険は多い。特に昨今、ISISの影響によりダッカでは排他的なテロ行為が増えてきている。それに比べれば、チッタゴン丘陵地帯は平和な方だ。

 四月に入り、ようやく現地入り。検問所で、書類にサイン。ここで、ガイド役として一人チャクマの知人をつけていると伝えると、それで良いということになった。正直、軍の同行についてはどういう基準があるのかよくわからない。しかし、これは嬉しい誤算だった。とりあえず、わずらわしさがなくなったとホッと胸をなでおろした。これで気兼ねなくチャクマと話せるし、お酒も飲める。新年祭のイベントも自由に見て回れる。もう、この土地を満喫することだけを考えていた。

 

 最初に見たものは女性陣による「おはじき対決」。ハマグリくらいの大きさのおはじきを手で弾いて相手のおはじきにぶつけていくゲーム。

f:id:criteria:20170530010457j:plain<これより以下の写真は全てクライテリア編集員佐伯が撮影。キャプションは本文を持って代えさせていただきます> 

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 このゲーム、ルールは厳しく一回でも的を外すとターンエンドとなる。意外と距離もあるし、何より地面が平らでないため難易度はかなり高い。が、選手たちはバシバシ的を射抜いていく。絶対に練習している。というより新年とか関係なく日常的にやっているのかもしれない。見た目は子どもの遊びだが、日本でいうゲートボールのようなものなのだろう。

 

 白熱の試合を見ていると、私のガイドの方に電話が入った。それは軍部からのものだった。「今、何をしているのか」「ミーティングはしていないか」「明日はどこへ行くのか」「直接会って話せるか」などなど。事細かに動向を聞かれていた。ガイドは「新年祭をただ楽しんでいるだけだ」と繰り返し説明したが、その説明だけでは満足しなかったのか、直接会って話すことになった。

 私が宿泊しているゲストハウスで落ち合うことになったので、私とガイドはイベント会場をいったん後にした。ゲストハウスに戻ると治安当局の役人が一人すでに門の前に立っていた。私たちは互いに自己紹介をし、奥のロビーへと向かった。外国人である私を守るという使命感で来ているのか、政治的な企みを暴こうという正義感で来ているのかはわからないが、とにかく、私とガイドが何者であるのかをはっきりさせたがっている様子だった。「君は普段日本では何をしているのか」「君たちはどういう経緯で知り合ったのか」「ガイドさん、君はどんな仕事をしているのか」などなど。ところが、ほとんどの質問が人となりを確かめるためのものであった中で、一つだけ奇妙な質問が発せられた。それは「ミーティングはしないのか」である。

 実は許可証には「公式な会議に出席することを控えること、また、チッタゴン丘陵地帯に関する問題への言及を控えること」という文言が記載されている。ここではこの土地に関する政治的な発言や行動は明確に控えるよう言い渡されているのである。しかし、まさかこんなにも直接的に「ミーティングはしないのか」と聞かれると思わなかった。そんなことを聞かれても、ミーティングをしようとしまいと答えは「ノー」に決まっている。あらかじめ釘を刺されていることを堂々と「やります」と答える人なんていないのだから。その質問の効果のほどはよくわからない。しかし、改めて口にされると、文書で否定されるよりも胸に刺さる。私はその質問をされた瞬間、急に自由がなくなった心地がしてしまった。

 

 気を取り直して夕方。民族舞踊が観られるというので、出発。チャクマだけでなく、マルマやトリプラといった他の少数民も独自の衣装を着て、それぞれの言語で歌と踊りを披露していた。

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 この写真はチャクマの踊り。新年を意味する「ビジュ」という曲に合わせて踊っている。男女問わず、この土地の踊りは動きが柔らかく滑らかな振り付けが多いのが特徴だ。伝統的なものなので、チャクマなら誰しもが踊れるし歌える。

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 観覧者にはお姉さんたちを真似する子どももちらほら。彼女は前に出過ぎてしまったため、親に引っ張られている。きっといつかあの舞台に立つ日がくるのだろう。

 

 日にちは変わってレスリング。「相撲」という単語はわりと知られており、ガイドも「おい、今日はチャクマ・スモウがあるぞ」なんて言っていた。それは見応えがありそうだと思いながら会場へ向かった。ちょうど昨年のチャンピオンと挑戦者の試合が行われる時間帯で客席は超満員。

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 左が昨年のチャンピオン。体格はチャンピオンの方が小さく見えたが、映える筋肉の質が明らかに異なる。もう始まる前からチャンピオンの勝ち確のように思えた。そして実際にチャンピオンの圧勝だった。

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 試合はあっさりしていたが、勝つことに意味がある。チャンピオン渾身の勝利の舞。選手も観客も大興奮。興奮状態のまま、特にファンサービスとかは無く、バイクにまたがり颯爽と帰宅。さらばチャンピオンという感じだった。

 

 チャンピオンはすぐに帰ってしまったが、会場では興奮した観客が各々で相撲を始めていた。素晴らしい試合を観た後は身体を動かさずにはいられないのだ。しかし、私たちは、それよりも酒だということで、帰宅を選択。とその時、またしてもガイドの電話が鳴る。今度は軍からではなく警察からだった。今いる場所を伝えると、そちらに向かうから待っていろとのことだった。しばらくして二人組のベンガル人がやってきた。先日の軍と全く同じやり取りが行われた。どうやら軍と警察ではガイドの電話番号以外は情報を共有していないらしかった。人柄なのだろうが、軍の人よりも穏やかで、「エンジョイ!」などと言って私に気を使ってくれてもいた。

  この後は基本的に電話連絡はなかったが、行く先々で軍や警察に遭遇した。まさか二四時間見張っているわけでもあるまいし、私は偶然会ってしまったのだろうと思ったが、ガイドの方は監視されていると感じていたようだ。

 

  このように、チッタゴン丘陵地帯とは、こちら側の意図とは無関係に政治的な要素が向こうからやってくる土地なのである。にもかかわらず、政府と軍はここに宿泊施設を建設し、エコロジカルなイメージ戦略を用いて観光地化を進めたがっている。政治的な行動を抑えようと、「ややこしいことに触れるな」というお達しを表明しつつ、しかし観光地化を進める。このような強引な手法にはやはり無理がある。この歪みに触れた観光客は気づくだろう。ここは普通じゃないと。  

 

 最後に私の尊敬するカメラマンの勇姿をみなさんに送る。

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彼女の思い出を最高の形で残すため、彼らは沈む。

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佐伯 良介